兄弟が多いのが当たり前だった時代。
親も仕事が忙しく、1人1人の子どもに向き合う時間がとれない。
子供達は、自分で考え兄弟を見て育ってきた。
子供が少なく、1人子も珍しくない現代。
土日休みも増え、1人の子どもに父母が関われる。
手取り足取り、子供に、時間、費用をかけれる様になってきた。
どららにも、メリット、デメリットは、あるだろうが。
サッカーに関して、甘やかされた選手達は、どんな傾向があるのか、というのが今回のテーマ。
甘やかされた選手達とは
「子供がかわいそう」
一部の保護者は口にするが、果たしてどのような事が「かわいそう」なのだろうか
このポイントが、甘やかすかどうかの大きな違いである。
保護者が、「かわいそう」な状態を見て、助けられる間は、どうにでもなる。
例えば、生活で言えば、
「ご飯が食べれない」 → 「食べさせれば良い」
「服が着れない」 → 「着せれば良い」
「寒さ、暑さをしのげない」 → 「住居、衣服、家電を考慮すれば良い」
これは、サッカーでも同じ事
「試合に出れない」 → 「移籍する」「監督に訴える」
「怪我をする」 → 「病院につれていく」
「いじめられる」 → 「チームに訴える」
「巧くならない」 → 「スクールに通わせる」
ピックアップすると、きりがない。
つまりは、保護者が「かわいそう」な状態を見て、保護者が助けられる間は、助けられる。
しかし、保護者が助けられなくなった時、誰が助けてくれるだろうか?
当然であるが、自分自身で 解決していかなければならないのだ。
保護者が いない状況で、「かわいそう」な状態から、解決できないのが、最も「かわいそう」なのである。
有名な話ではあるが、
「食べるために、魚を与えるのでなく、魚の釣り方を教えるべきである」
つまり、かわいそうなのは、
「魚を与えられない事ではなく、釣り方を知らないということ」
苦労する選手達
では、具体的な事例を挙げてみよう。
メイン保護者コーチの子供
保護者監督で、子供も中心選手の場合で、甘やかされると最悪。
監督の意のままに、子供を操るので、チームスタイルと選手スタイルは完全一致。
普通の選手なら悩むことも、気軽に家庭で相談できるので、サッカーで悩むことはない。
レギュラーを外される不安もないので、ゆでガエル状態となる。
結果、次のカテゴリーでは、監督と選手の関係性に苦労することもある。
というか、学年が上がると、特別扱いされた選手は味方選手も気づく年齢になるので、仲間に相手にされない事もある。
チーム状況上、仕方ない場合もあるが、選手がメインならそのチームのメイン監督はしない方がよいだろう。
過保護に育った子供
試合中の食事は子供同士が一般的だが、いつも親とマンツーマン。
試合前にアドバイス、テーピング、靴紐チェック、など、全てを親の意のままに動かす。
試合中に、選手が倒れると、一目散に駆け寄るような勢いだ。
この手の選手は、意外と多いのだが、選手の性格により、2つの傾向にわかれる。
1つは、気の強い選手。
低学年の頃までは、素直に親の話を聞くが、思春期になると、一向に話を聞かなくなる。
アドバイスをしたい肝心な年齢で、話を聞かないのは親としても残念だろう。
1つは、気の弱い選手。
こちらは、最後まで、親の言いなりで、操り人形のようだ。
結果的に、選手も親の顔色を伺ったり、びくびくしたり、1人では何もできなくなる。
控え選手
最近、増えているのが、「控え選手」の保護者の異常行動。
ここで、「控え」という表現だが、試合に出れていない訳ではない、チームの中心ではないという事。
このような時、親のプライドが許さない、または、子供の頑張りをみているのに中心でないのに納得がいかないのだろう。
選手自身は、そのチームでプレーに満足していても、親都合で移籍する。
移籍が悪いとは思わないが、あくまでも 決断する中心は、「選手」である。
移籍する選手は、次でも、移籍を繰り返し、、、、結果、満足しないと、次次と籍を変える。
これは、今後、サッカー以外でも影響するだろう。
「放任」と「放置」の違いを理解すること
子供を過干渉でなければ、良いだろうということで、全く子供の試合、練習に無関心な保護者もいる。
ここで大切な事は 「放任」 と 「放置」 の違いを意識すること
「放任」は、親は干渉せず、選手のやりたい様に行動させること。
「放置」は、親は、全責任を選手に委ねその場を離れてしまうこと。
どちらも、干渉せず自由にやらせることに変わりはないのだが、一定の線引き、範囲内があるかどうかに違いがある。
例えば、「試合では好きな様に、自由にしてよい」とした場合
意図的に悪質なファールをした時に、叱るのが「放任」であり、叱らないのが「放置」である。
子供には、自由にプレーさせるのは、あくまでも一定の範囲内だけ。
それが、大人の日常であれば、「法律」や「モラル」といった範囲になるのだろう。
まとめ
子供が「かわいそう」なのは、親が助けられない時に「かわいそう」から抜けれない状況だ。
有名な話ではあるが、
「食べるために、魚を与えるのでなく、魚の釣り方を教えるべきである」
つまり、かわいそうなのは、
「魚を与えられない事ではなく、釣り方を知らないということ」
最後まで読んで頂き有難うございました。
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