腰が痛いから、患部のマッサージをするが治らない。
肩が痛いから、患部に湿布薬を貼るが治らない。
足が痛いから、患部のストレッチをするが治らない。
治らないのは、、、患部が原因であると思っているから。
身体は繋がっているので、患部が痛いのは、全く別の個所であったりもする。
何事も、広くみることが大切なのだろ。
今回も、サッカーとは関係のない話だが、サッカーに繋げられるかは、、あなた次第。
課題の分離とは
「アドラー心理学」の柱の1つとされる 「課題の分離」について、ご紹介
考え方としては、、、
・「自分の課題」と「他人の課題」を 混合するから 悩みが発生する。
・「他人の課題」に土足で踏み込むから、いざこざが発生する。
ただそれだけである。
つまりは、
自分自身でコントロールできる「自分の課題」に取り組み、
コントロールできない「他人の課題」は、どうしようもないので、干渉しない。
ということだ。
試合内容を皆に評価されるかどうか
試合の時に、自分のプレーが評価されるか?
この問題について、
自分で出来る事は、、、プレーの質、内容。
これが、「自分の課題」であり、それ以外の要素は、どうしようもない。
つまり、「他人がどう評価するか」は、「他人の課題」であり、干渉しないのが、一番ということだ。
優秀な選手は、自分のプレーに納得がいかなければ、自宅に戻り、再確認するのは、まさにこのことなのだろう。
周りの大人達のことなど、、、どうでも良いのだ。
試合中パスを要求したが、貰えない
試合中に、パスを出すかどうかは、「他人の課題」であり、どうしようもできない。
ここで、自分に出来る事は、、、
仲間から信頼をえるプレーをすること。
パスを出したいという 選手になる ということ。
仲間に、パスの要求をすること
これら、自分で出来ることを率先する事が先決。
試合場面でも良くあるのだが、同じ選手が、パスを出せる状況になった。
信頼できる 選手には、 直ぐにパスをだすが、そうでなければ、パスは出さない。
つまりは、パスを出しても、直ぐに奪われてしまうなら、、、と判断しているのだろう。
これは、他の事でも同じだろう。
友人に本を貸す時、直ぐに返してくれるなら、喜んで貸すが、なかなか返ってこない、または、汚れて返ってくるならどうだろうか?
つまりは、「自分の課題」をしっかり見つめ直し、取り組む事が先決であり、「他人の行動」は自分では決められないということだ。
ちなみに、、以前 個性とは何?と質問が来たのだが、「個性」があるかどうかは、自分が決めるものでなく、他人が決めるものであり、評価はそれぞれ違う。だから、「個性的な選手」という評価を選手が求めるのも、、どうかということになる。
評価は、他人が決めるものであり、自分では決められない。自分に出来る事は、「自信をもってプレーすることのみ」
子供が勉強しない
「課題分離」の視点で言えば、「子供の事」については、「子供の課題」であり、自分の課題ではないのだ。
最初の説明に合った通り、他人の領域に土足で踏み込もうとするから、トラブルが発生したりもする。
子供の課題に対して、自分ができることは、何かを考えた方が良い。
イギリスのことわざ だが、
You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
要約すると
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
つまりは、
親が、どれだけ頑張っても、子供の課題は、子供にしか解決できない。
親は、子供が好む 水を探し続けるしかない、、、
親は、子供が水を飲みたくなる 方法を考えるしなかない、、
ということなのだろう。
まとめ
子供が勉強しないで悩むのは、課題の分離ができてないからである。
子供が勉強するかは、 他人の課題であり、自分の力ではどうすることもできない。
親としては、自分の出来る事をすることのみである。
イギリスのことわざ
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」
にも読み取れるだろう。
最後まで読んで頂き有難うございました。
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