サッカーの保護者同士で揉める。
サッカーの監督とコーチが揉める。
はたまた、指導者と保護者が揉める。
今回のテーマは、揉め事。
揉める原因は、自分が「正論」と考えるからである。
正月のおせち料理を ネット注文したとしよう。
楽しみにして、届いたのが、、画像よりも見劣りする商品だった。
ネットを見返すと、「画像はイメージであり、実物は違います」と記載がある。
しかし、このときに業者にクレームを入れる人がいるだろう。
クレームを入れない人の思考は、「自分が間違っていた」と考えるが、
クレームを入れる人の思考は、「自分が正しい」として「相手の過ち」を正そうとするからである。
同じ現象でも、自分が正論とした場合は、不満を相手に告げる事例の1つだ。
では、自分の大切な人が、他人に傷つけられたらどうだろうか?
先の事例とは比較にならないほど、強烈な不満をほぼ全員が爆発させるだろう。
不満爆発の理由は、自分が正論であるというのは先と同じであるが、
先の事例とは比較できな程、絶対に自分が正しい と想定するので、強烈な不満となる。
しかし、相手が精神疾患を持っていたり特殊な場合は、裁判でも無罪となる事がある。
つまり、感情の部分は度外視して、「自分が正しい」と想定した事も、法律上では、「正論」とはならいのだ。
2つの事例からも分かる通り、
・自分が「正論」と想定するので、「相手の間違い」を正そうとする。
・「正論」の感情が強ければ強い程、相手への怒りは爆発する事になる。
これが、サッカーでも揉める原因となるのだ。
人の数だけ正論がある事を理解しよう
では、「正論」とは何かを考えてみる。
チームの集合時間に関して、考え方が異なる3人の保護者がいたとしよう。
Aさん「集合時間の30分前には、到着すべきだ」
Bさん「集合時間のギリギリでも、間に合えば良い」
Cさん「集合時間の1,2分なら、過ぎても大丈夫」
実際に、集合時間の感情は、、
Aさん:30分以上待った事になり、Cさんへのイライラは止まらない。
Bさん:1,2分しか待ってないので、Cさんの事は気にならない。
Cさん:皆を待たせたのは1,2分だと想定して反省がない。
このように、集合1つにしても考え方が異なり、Aさん、Cさん、が揉めるのは当然だ。
次に、Cさんが、外国人のDさんと待ち合せればどうだろうか?
電車でさえ、定刻通りに来ない外国では、遅延が常識、30分以上遅れてきたDさん。
果たして、Cさんはどのような感情を持つのだろうか?
これらは、人の数だけ常識がある、といった1つの事例。
正解がない、サッカーであれば、なおさら、「正論」は複雑だ。
サッカーで揉めないためには
では、サッカーで揉めないためいは どうするか?
答えは、簡単 「サッカーの話は控えること」 これに尽きる。
互いに熱心なサッカーファン同士であれば、自分の「正論」は間違ってないと主張しあう
正解の無いのが、サッカーの良い所でもあるのだが、、、
これでは、揉めて当然だ。
このため、サッカー経験者の保護者が多いチームで、「サッカー話」が中心になると、、、好ましくない事がある。
また、サッカーの話ばかりであると、レギュラーでない選手、Bチームの保護者は、気が引けてしまう。
このため、チームへ献身的な活動は控えていく事になってしまうのだ。
だからこそ、「サッカーの話は控える事」
これは、職場を想定すれば、理解できるだろう
会社での飲み会で、仕事の話ばかりでは、、、、、楽しいだろうか??
「サッカー」も同じであり、優秀な選手(会社上司)は楽しいだろうが、、、
実際に、チーム優劣関わらず、「サッカー」の話の少ない チームは、保護者の関係が良好だ。
保護者同士の会話が、誰も気づつけない 楽しい会話中心。
サッカー、勉強、収入、、、、、など、優劣が付く話は控える事。
親が自慢したい気持ちはわかるが、チームでの人間関係を良くする事は、選手が良いチームの所属できるという恩恵を受ける。
つまり、保護者の態度が、周り回って、自分の子供に跳ね返るという事である。
まとめ
揉める原因は、
自分が「正論」と考えて、相手の「間違い」を正そうとするからである。
「正論」と強く思うほど、相手への指摘は強くなる。
懸命な人は、正論と強く思う時こそ、穏やかな主張をするのが一般的だろう。
対策としては、
人の数だけ、「正論」がある事を理解すること
正解のないのがサッカーであり、そもそも、「正論」を論議する事こそ、無意味である。
だからこそ、少年サッカー保護者同士では、、
必要以上に、サッカーの話はしない。
それ以上に、誰も傷つかない 楽しい話をした方が良い。
雰囲気の良いチームにする事こそが、子供のためには重要ですからね。
最後まで読んで頂き有難うございました。
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