少年サッカーの理想と現実

サッカー
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子供が好きなので、多くの子供を産んで、楽しい家庭にしたい

という理想はあるが、現実は、難しい。

サッカーのプロを目指す為、いくつになっても挑戦し続けたい。

という理想はあるが、現実は難しい。

今回は、このような、理想と現実 がテーマ

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理想とは

辞書で 理想 を調べてみると、、「考えうる最高な状態」だそうだ。

つまりは、理想と現実は別であり、理想は追い求める事はあっても、必ずしも叶う訳でもないということなのだろう。

先の事例であれば、

子供が沢山欲しいと望んでも、お金が無ければ、体力がなければ、相手がいなければ、、難しい。

年齢関係なく、プロを目指す努力をしても、才能がなければ、運がなければ、若さがなければ、、難しい。

理想はいつまでも追い求め続けるのか、、現実を見て、途中で妥協するのか、、非常に難しい問題だ。

全員が平等に試合出場して勝利する

では、少年サッカーの理想とは、どうなのだろう?

良く言われるのが、

「選手全員が平等に試合出場して、良い成績を残すこと」

まず、選手全員が平等に出場であるが、低学年の間は、この規則に従っているチームが多いが、公式戦が始まる高学年になると、様相は変わる。

勝利する、成績を残す事への執着がでてくる。

ここで考えるべきなのが、なぜ、平等に出場させながら、成績を残すことを考えないのかということだ。

例えば、チーム12名が在籍したとして、

前後半で総入れ替えをした場合、後半は、半分のメンバーが変わり、別のチームになることはありえるが、

本来のチーム実力というのは、この12名のメンバーであるものであるべきだ。

しかし、現在の多くのチームは、スタメンの8名を軸にして、残り4名は、ついで程度にしか試合に出さない。

つまり、チームの実力値を スタメン主体の実力としている。

同じ12名の選手が所属しベストメンバーでは 同等の実力であったとしても

片側は全員交代するが、もう片側が固定選手だけで戦うのであれば、、当然、後者のチームの方が勝率は高くなる。

この現象と良く似ているのが、強豪チームに勝ったという、一般チーム。

実は、強豪チームには、数名上位学年で常にプレーする選手がいて、、最終学年になると、メンバーが変わり、全く歯が立たない事もある。

だから、一般の試合で勝った、負けた で一喜一憂するのは、全く意味がなく、その時のメンバー、チーム方針など、総合判定が必要になると思った方が良いだろう。

つまり

「選手全員が平等に試合出場して、良い成績を残すこと」

は、相手がある以上、理想ではあっても、現実問題として、達成することは難しいということだ。

理想を追求するには

では、理想を追求するにはどうすれば良いのだろうか?

まず、考えるのが、前後半で総入れ替え、などのルール改定。

実際にこのルールに基づいた試合をするところもあるが、、勝利至上主義のチームは、控えの選手達を試合にすら連れてこない。

ルールの根底にあることを全く理解できていないのは、、とても残念。

そこで、、、最終的に行きつくのは、柔道会と同様に、勝利至上主義の撤廃(全国大会中止)だろう。

公式戦がなければ、低学年の時の様に、試合事体を楽しめるはず。

自分達のレベルに応じたチーム同士が試合できるはず。

学校の仲間同士で、遊ぶ感覚でサッカーに携わるのが一番だろう。

それには、、、大人が関わりすぎない事も重要な要素。

柔道会でもそうであったのだが、加熱するのは、保護者や指導者。

彼らが、自分の欲求を満たすために、勝利に執着する。

実力ある自分の子供が後半で下がり、別の選手が試合に出場 なんていうのは、保護者として理解できないのだろう。

勝利する喜びを味わいたいがため、出来ない選手が試合に出場して、負ける事は、指導者として許せないのだろう。

つまりは、競争 を無くしてしまえば、全員出場はいとも簡単にできる。

小学生のスポーツ、どう捉えるかが、最も問題になるのかもしれない。

まとめ

少年サッカーの理想

「選手全員が平等に試合出場して、良い成績を残すこと」

を追求するには、どのチームも同じ土俵に立たなければ難しい。

「全員出場する」=勝利至上主義になりすぎない。

競争がなければ、スポーツとしての魅力は半減するかもしれないが、

この中で、互いに切磋琢磨して、勝利を目指す事が最善かもしれない。

最後まで読んで頂き有難うございました。

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